岡山地方裁判所 昭和62年(わ)125号 決定 1987年8月26日
少年 B・Z(昭43.1.22生)
主文
本件を岡山家庭裁判所に移送する。
理由
本件公訴事実の要旨は、
「被告人は、暴力団○○組系○×組内○○興業(以下「○○興業」という。)組員であるが、暴力団3代目○△組系△×組内△△組(以下「△△組」という。)組員や暴力団×△組員A(当時23歳、以下「A」という。)らが○○興業組員B(以下「B」という。)及び同組員らと交遊のあるC(以下「C」という。)らを殴打したうえ○○興業を侮蔑する言動をとつたことに立腹し、△△組員やAらに報復しようと企て、
第一
一 ○○興業組員D(以下「D」という。)、同E(以下「E」という。)、同F(以下「F」という。)、同G(以下「G」という。)及びBと共謀のうえ、昭和62年1月2日午前零時30分ころ、岡山市駅前町×丁目×番××号前路上において、同所に駐車中の普通乗用自動車内にいたAを認めるや、FがAの胸倉をつかんで同人を同車から引きずり出し、F及びBがAを同所に停車させたD使用の普通乗用自動車後部座席に押し込み、かつその両側にB及び被告人が、その運転席にFが、その助手席にDがそれぞれ乗り込むなどして同所から岡山県倉敷市○○××番地の×所在の○○第1駐車場まで右自動車を疾走させたうえ、同日午前3時ころまで、同所において、駐車中の同車後部座席にAを閉じ込めて被告人らが監視を続け、Aが同所から脱出することを不能にし、もつて同人を不法に監禁し、
二 D、E、F、G及びH(以下「H」という。)と共謀のうえ、同日午前零時30分ころから同日午前3時ころまでの間、岡山市駅前町×丁目×番××号前路上等において、Aに対し、Eが文化包丁ようの包丁でAの大腿部を1回突き刺すなどし、Fが手拳でAの胸部を数回殴打し、Bが出刃包丁ようの包丁でAの左大腿部を4回突き刺すなどし、Gが文化包丁ようの包丁でAの腰部を1回突き刺すなどし、被告人が木刀でAの頭部を1回殴打するなどし、HがAの大腿部を数回足蹴にし、よつて同人に対し加療約3週間を要する両大腿部刺創、切創、腰部刺創等の障害を負わせ、
第二 D、E、F、B、G、C及び○○興業組員I(以下「I」という。)と共謀のうえ、昭和62年1月4日午前1時過ぎころ、岡山市○○町××番××号所在の△△組事務所内及び同事務所前路上において、
一 同組組員のJ(当時24歳、以下「J」という。)に対し、Eが文化包丁でJの右大腿部を2回突き刺し、Gが文化包丁ようの包丁でJの左大腿部を1回突き刺し、更にIが木刀でJの足を数回殴打し、よつてJに対し左大腿部刺傷等の傷害を負わせたうえ、同日午前2時ころ、同市○○町×丁目××番地××号○○病院において、同人を同傷害により失血死するに至らせ、
二 同組組員のK(当時21歳、以下「K」という。)に対し、F、B及び被告人がそれぞれ木刀でKの頭部を数回殴打し、更にGが前記文化包丁ようの包丁でKの右大腿部を1回突き刺し、よつて同人に対し入院加療約1か月間を要する右大腿部刺創、右大腿筋切断の傷害を負わせ
たものである。」
というのであつて、右各事実は、当公判廷で調べた各証拠によつて明らかであり、被告人の前記第一の一の所為は刑法60条、220条に、第一の二及び第二の二の各所為はいずれも同法60条、204条、罰金等臨時措置法3条1項1号に、第二の一の所為は刑法60条、205条1項に各該当する。
そこで、以下被告人の処遇について検討する。
本件は、自己の所属する暴力団○○興業の組員らが他の暴力団の組員らから暴行を受けたことに立腹し、その報復を企てた前記Dが、被告人ら配下の者と共謀して、他の暴力団の組員1人を逮捕監禁したうえ加療約3週間を要する傷害を負わせ、また、他の組事務所を襲い、その場にいた組員2人に包丁で大腿部を突き刺すなどの暴行を加え、うち1人を失血死するに至らせ、他の1人に入院加療約1か月間を要する傷害を与えたというものであつて、その犯行の動機、態様の悪質性、結果の重大性、社会に与えた影響等に鑑みれば、犯情悪質な事案といわねばならず、被告人自身においても、先輩組員であるDからAらへの報復を指示されたとはいえ、自らも報復を決意してこれに応じ、木刀でAやKを殴打するなど、その実行行為に加担しているのであつて、被告人の刑事責任は重いというべきである。
加えて、被告人は、昭和59年10月に学校に無断で原付免許を取得したことから、学校側の強い勧めもあつて高校を中退したのち、工員となつたが、給料が安いことなどから勤労意欲をなくし、暴力団の一見派手な生活に憧れて昭和60年秋ころから○○興業事務所に出入りするようになり、昭和61年1月には、同組若頭代行のL(以下「L」という。)の盃を受けて正式に組員となり、同年7月には左肩から腕にかけて入墨を入れるなど、暴力団に親和性を持つとともに、組員としての行動様式を一応身に付けており、本件後収容された少年鑑別所の所見においても、被告人においては、その生活態度や考え方の反社会的な偏りが非常に大きく、非行性が進んでおり、本件犯行時において既に18歳11月に達していたことを考慮すると、被告人には刑事処分をもつて臨むのが相当である旨指摘されていることなどの事情を考慮すると、本件を家庭裁判所が検察官に送致したことも、首肯できないではない。
しかしながら、被告人の成育歴を検討するに、被告人は、中学校卒業までは大過なく過ごし、本人の希望通り県立の普通科高校に進み、同校を退学するまで休まずに通学するなど学校生活にも親しみ、また、退学後就職した工場でも精勤しているのであつて、これらの点からすれば、被告人には通常の社会生活に十分順応し得る能力があるというべきである。
また、被告人が前記○○興業に加入するに至る経緯を見ても、被告人は、中学3年生のころ、母親がスナツク経営に失敗し、その借金整理のため持ち家を処分して一家で小さなアパートに転居するなどの経済的困苦に見舞われ、両親の仲も険悪となつて一時は離婚するなど生活環境も急変し、そのころから喫煙などの問題行動を取るようになつたが、被告人の問題行動を重視した高校が父親に自主退学を強く迫り、そのため被告人は不本意ながら高校退学を余儀なくされたのであるが、これらの必ずしも被告人の責めに帰すことのできない事情によつて、被告人に経済的困窮への嫌悪感、自己を退学から守つてくれなかつた父親への不信感が植えつけられ、それらが、被告人自身の若年ゆえの無分別と相俟つて、被告人をして、一見金まわりがよく家族的結びつきの強い暴力団の下に走らせたともいい得るのである。してみれば、被告人と暴力団との結びつきはさほど根の深いものではない。
加えて、被告人は、昭和61年1月に無免許運転により交通短期の保護観察処分を受けた他は、家庭裁判所における保護処分歴はなく、幸い、本件においても、共同謀議の過程や実行行為の加担において被告人が果たした役割は、従属的であり、他の共犯者に比較して軽微なものに止まつていることなどの事情に徴すると、被告人を収容保護するなどして現在の悪環境から隔離し、専門的立場から強力な処遇を行えば、なお、保護処分により被告人を更生に導き得ると思料されるのである。
更に、本件が検察官に送致されたのちの事情を見るに、本件各犯行は、本件送致処分後の捜査の進展及び公判での審理の経過において、事案の全貌が解明され、主犯のDら他の年長の共犯者に対しては然るべき刑事処分が科されることになるのであつて、本件事案に対する社会の処罰感情も一応満足されたものと考えられる。また、被告人も、刑事公判審理を通じて、その罪責を厳しく追及されたことにより少なからざる感銘を受け、当公判廷において、自己の無思慮な行為を反省し、今後は母親の世話してくれた職場で真面目に働きたい旨述べるとともに、現在では、○○興業を脱退することを決意し、弁護人を通じて脱退届を出しており、○○興業においても、組における被告人の直接の親分であるLがその後の抗争事件で射殺されたこともあつてか、被告人を破門処分にするに至つているのである。
以上の諸事情を総合すると、前記のとおり本件において被告人の刑事責任は決して軽いとはいえないところであるが、現段階では被告人に刑事処分を科するよりは、むしろ、本件を契機に更生の意欲を示している被告人に対して施設収容等により、生活環境を整備したうえ強力な保護を試みることによつて、身につけた非行性を除去し、その更生を図るのが少年法の目的に照らして相当であると思料される。
よつて、少年法55条により、被告人に対する本件傷害致死、傷害、逮捕監禁各被告事件をいずれも岡山家庭裁判所に移送することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 藤田清臣 裁判官 朝山芳史 岩倉広修)